2018年05月24日

5月の西瓜

藤の花もすっかり観られなくなりました。

早生米が植えられた田圃もみなれます。

和歌山では青梅の収穫が始まったそうです。

五月に入り夕食の後に西瓜が我が家では出る様になりました。

57年前に亡くなりました祖母が亡くなる前に食べたいと

父におねだりしていました。

母想いの父は缶詰なら在るかも知れないと探しましたが在りませんでした。

現代では一年を通じて西瓜は在ります。

57年前の私が中学の二年生の時でした。

父の困ったあの時の顔は今でも覚えています。

今日は、しずばあちゃんの命日です。

勿論、西瓜はお供えしました。

CIMG6129.JPG
 88歳で亡くなりましたしずばあちゃんです。

市内の霞ヶ丘2丁目に我が家の桃畑が在りました。

桃の花が満開の頃姉が撮った写真です。

手にお持ちの花は桃の花です。

桃の木は100本以上は在った様に思います。

桃の時季は母がリヤカ−に積んで尼崎の手前の塚口まで

行商に行っていました。

当時、父は自動車免許は持っていましたが

自動車を買えなかったそうです。

CIMG6124.JPG
  その頃の元気な父です。

CIMG6126.JPG
   中学3年迄暮した私の生家です。
小作農家でした。
右側の建物は倉庫と農機具です。
左側に白壁の蔵が在ります、
私が小学の4年生頃に建ちました。
中央の瓦家が母屋です。
写真前の部分は田圃です。

田植え前の田圃の土を起して、
これから水を入れ当時は牛に農具を付けて
”苗代かき”をしてから田植えをします。

私は思いもしなかった仕事に就きましたが
18歳迄の農家の手伝いにより
幼くして自然に触れて来られた事が
料理を生業とするようになり
どれだけ助けられたか計り知れません。

閉店して間もなく一年になります。
正直!!!
淋しさは有ります。
でも、今の生活に慣れないと!!!
静かな普通の人に成らないと!!!

毎日、通学まえに兄の健斗君が寄ります。
弟の優斗君は帰宅前に寄ってくれます。
現役の時は朝の魚河岸行きや夕方にはお店に出ていましたので、
孫達とのこんな接点は在りませんでしたから。
元気な内に爺を楽しみます。






posted by 加茂 志津男 at 01:54| Comment(0) | へんこつおやじのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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